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伝統から、伝説へ。「能代工業高校」いう名のモンスター。

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能代工業高校。その高校は、30代〜40代のバスケ好きにとっては、知らない者はいない最強の高校のひとつである。

先日、その「能代工業高校」の名がなくなることが決まった。能代工業高校は能代西高校と合併。新たに「能代科学技術高等学校」として新たにスタートすることになったのだ。

走りに走るスタイル。伝家の宝刀「オールコート・ゾーンプレス」。日本人初のNBAプレーヤー。日本のバスケ界に欠かせない存在だった高校、能代。その歴史と存在を録を残しておこうと思う。

2021年4月「能代工業」は、その名に終止符を打ち、伝統校から、伝説校となる。

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能代工業高等学校の歴史

掬茶 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)

1912年、「秋田工業講習所」として発足し、創立100年以上もある歴史ある伝統高校である。第二次世界大戦後の1948年。新学校制の実施により「秋田県立能代工業高等学校」となり、後の高校バスケ界を牽引する名前が誕生した。

設立の背景には、木材の街である能代港町の地元の人々の「東洋一の機械製作の技術の向上と加工産業の発展を」という願いがあった。校是は「和衷勤労(わちゅうきんろう)」。『心の底からやわらぎ、心を同じくし、 まごころをつくして励み行う』という意味を表しており、その想いを礎に「ものづくり」を中心にした教育を実践していた。

能代工業高等学校バスケットボール部

出典:能代市HPより

能代のバスケットボール部は学校名が変わる以前の1933年に誕生。創部してから約90年近くも存続している歴史ある部である。

バスケ部初優勝は、1967年の埼玉国体。そこから2007年まで58回も全国制覇。高校総体22回、国体17回、ウインターカップ19回。年間三冠を9度も果たしている強豪高校である。

秋田県大会は1969年から2015年まで47連覇。きっとこの先、どの高校も超えることのできない前人未踏の領域である。ちなみに、48連覇達成を阻んだ高校は「平成高校」。スコアは68-100という大差であった。しかし、平成高校は、その年の全国大会で1回戦で敗退することとなった。

伝統のはじまりは「加藤廣志」という男から

名将「加藤廣志」。彼もまた能代高校出身である。1年の時にインターハイを経験し、日本体育大学で選手として活躍。ポジションはセンターだった。大学卒業後に高校教諭となり能代工業高校のバスケ部監督に就任した。

監督就任4年目。能代工業は、10年ぶり2度目となるインターハイ出場。そこから能代の伝説は始まった。

平面バスケットボールをテーマしたバスケットを展開。高さでの勝負ではなく、走りに走りまくるスタイルを築き上げた。能代の代名詞でもある「オールコート・ゾーンプレス」、そこからの速攻を活かし全国優勝を重ねに重ねた。

1967年に埼玉国体で初出場・初優勝。1970年にはインターハイ初優勝。1975年には、ウインターカップも合わせた高校三冠を達成。1985年にはインターハイ7連覇を果たすのだった。

ウインターカップ11回・インターハイ11回・国体11回の全国タイトル合計33回を獲得して、1990年に勇退した。

2018年3月4日、永眠。享年80歳だった。

伝統と伝説を繋げた男「加藤三彦」

加藤廣志の勇退後、次期監督を受け継いだのは「加藤三彦」。加藤廣志と同じ苗字だが血縁関係はない。能代工業出身で、3年生時には主将として国体もあわせ三冠を成し遂げた。全日本の選ばれた経験がある。

監督就任前から加藤廣志のもとでコーチとして能代工業バスケ部で教えており、平面バスケットボール・速攻のスタイルを軸にしながら3Pなどアウトサイドからのシュートを組み合わせた戦術を取り入れていった。

そして、加藤三彦が指揮を執る時代に日本人初NBAプレーヤーとなる「田臥勇太」をはじめ、日本人初プロ契約選手「長谷川誠」、選手後の監督になる「佐藤信長」「栄田直宏」など多くの選手を輩出した。

伝統を、伝説にした男「田臥勇太」

User:STB-1 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)

バスケットを知っている人でなくても知っている「田臥勇太」。能代の強さを象徴するプレーヤーの代表である。

入学後、即スタメン。その時点でバスケット能力はずば抜けているのだが、そんな田臥でも入部後の能代の練習量には驚いたそうだ。

とにかく走る。永遠に続くフットワークとシャトルラン。能代のバスケスタイルを象徴するその練習メニューに、必死に食らいついていったらしい。

後のインタビューで、「逃げ出したかったけど、逃げる勇気がなくて(笑)」と語っている。

田臥が在籍した3年間。能代は、3年連続で高校総体・国体・全国高校選抜の三大タイトルを制覇。史上初の九冠という偉業を果たす。彼が入部してから能代が公式戦で負けたのは、1年生の時にたった1度だけ。伝統のスタイルを、伝説になる戦績として残したのだった。

伝説を、伝播させた男「井上雄彦」

出典:INOUE TAKEHIKO ON THE WEB

バスケと能代。この両方を広めたのがスラムダンクの作者「井上雄彦」。スラムダンクは、発行部数は1億冊を超えるオバケマンガであり日本のバスケブームの火付け役となった。1億冊を超えるマンガは、ONE PIECEやゴルゴ13ドラゴンボールなどもあるが、全31巻と1億超のマンガのなかでは少ない巻数で1億冊超を記録している。

スラムダンクをキッカケにバスケをはじめた、バスケ部に入ったそんな人も多いはず。そのスラムダンクで、クライマックスとなる対戦相手、山王工業。そのモデルとなったのが「能代工業」というのはあまりにも有名な話だ。

バスケブームになる前から能代は強かったのだが、バスケを知らない人まで、知っているという程の知名度はなかった。

今みたいにネットでさっと強豪校を調べられるという環境でもなかったので、小学生・中学生といった子供達、バスケを知らない人達は知る機会も少なかったのだ。

そんななかで起きたバスケブーム。能代工業の知名度は一気に上がった。「どうあがいたって、能代には勝てない」そんな無敗の高校というイメージがつくり上げられたのだ。(当時は、実際勝てなかったんだけど)

さいごに

驚異的な記録の数々を残した能代高校。近年では、留学生を招いた他校やレベルを上げている他校も出てきており、絶対的王者ではなくなってしまったけど「能代工業」はバスケ界において存在感は大きかった。

来年「能代工業高等学校」という名はなくなってしまう。だけど、日本のバスケ界において、その記録も記憶もしっかり刻まれるはずだ。

「能代科学技術高校」となるこの先、また新しい伝説を築いてほしい。

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